
雨模様で11月初旬とは思えない寒い1日だった。
クローゼットに仕舞い込んでいたコートを羽織って朝9時に家を出た。試験会場まではドアトゥードアで約1時間半かかる。
10時半頃に会場近くの喫茶店に入った。
試験は13時からだが、これくらいの時間に会場近くの喫茶店で1時間半ほど勉強をして、12時過ぎに会場に入るのがルーティンになっていた。
喫茶店でやる勉強もいつも同じだ。
記述式で出るかもしれないと勝手に思い込んだ論点について、ただひたすらに書き殴って頭に叩き込むというものだ。今年も時間ギリギリまでノートにビッシリと書き込んだ。
「これだけやったのだから大丈夫」と自分に暗示をかけるように、、、
3度目の受験。
あと3年ほどで定年。これでダメなら諦めて、60歳以降は今の年俸の6割減(4割減ではない・・・)の再雇用を甘んじて受け入れ、サラリーマンとして仕事人生を全うしようと決めていた。
喫茶店を後にして、徒歩で数分の場所にある試験会場に向かう。予定通り12時過ぎに会場に入った。
「コートなどは椅子の背もたれにかけず、カバンに入れてください。もしも入らない場合は、床に置いて下さい!」
試験官(行政書士の先輩ですね・・・)が、何度も繰り返す。何で椅子にかけてはいけないのか?今ひとつ理解できなかったが、カバンにも入らなかったので、仕方なくコートを床に置いた。
12時半になり、試験の説明が始まった。ギリギリまで勉強していた、というよりはただ何となく眺めていた過去問や六法もカバンにしまった。
さあ、まな板の上の鯉だ。泣いても笑ってもこれまでの3年間の成果、そして人生を前に進めることができるかどうかがこの3時間で決まる。試験開始まであと3分。深呼吸をして、ゆっくりと目を閉じた。
「始めてください。」13時ジャストに試験が開始した。一般知識から解く。それがマイルールだ。
どんなに難しい時でも一般知識での足切りだけは避けなければならないし、思考力で解ける問題が多い場合なら、高得点が狙える可能性もある。だから私は、頭がクリアで時間もたっぷりある冒頭の大切な時間を一般知識にあてる。
「んっ、、、?」政経社が例年にも増して、完全に正解と判断できる問題が少ない。冷や汗が滲んだ・・・「足切りか、、、」
それでも情報分野を合わせて3〜4問は常識的に正解と判断できるものがあった。あとはラスト3問の文章理解の内、2問取れればほぼ足切りはクリアできるだろうと目処がついた。
その文章理解は思いのほか簡単な問題だったから、一般知識を解き終えてようやく少し冷静になれた。
「さあ、法令問題に取り掛かろう。」と気持ちを新たにして時計を見ると、開始から45分ほどが経過していた。
周りからはページをめくる音や中にはもう記述を書くコツコツとした音まで聞こえてくる。
一般知識に想定より時間がかかってしまったから、基礎法学と憲法は少し巻いて行こうと決め試験冊子の頭に戻った。
問1。すぐに2つの選択肢に絞れた。・・・が、何度、読み返してみてもどちらが正解か判断できない。
昨年までさんざん苦しめられた“最後の2択で不正解の方を選んでしまうやつ“が来た。
こういうとき、どう選んだら正解率が高まるのだろう。。。
悩んだ挙句、何となく違う気がする方の肢を選んだ。
昨年・一昨年の試験では、ことごとく最後の2択で不正解の方を選んでしまったせいで、数点足らずで不合格だった。
だから今年は「違う」と思う方を選ぶことにした。
憲法に入ったが、やはり冷や汗が止まらない。条文知識で解けた1題は正解できたが、他の4題は細かい判例知識を要するイメージ。
判例も過去問はかなり回してきたつもりだったが、歯が立たなかった。
一般知識・基礎法学・憲法を終えた時点で、これまでで一番厳しい戦いになっていると感じていた。
今振り返れば華麗にスルーすべき難問たちに正面から向き合って時間を浪費する、という行政書士試験で一番やってはいけないことをしてしまっていた。
巻いて15分くらいで通過しようと思った基礎法学・憲法の7問に25分くらいかけてしまった挙句、自信のある問題は2問だった。
次はいよいよこの試験の山場のひとつである行政法だ。19問もある。ここで17〜18問取れれば基礎法学・憲法のマイナスを挽回できる。
模試では17問くらい取れていたから、無理な数字ではない、と思っていた。
問8から解き始めると、なんかサクサク行ける。組み合わせ問題も多いし、ズバリ選ぶ問題でも割と過去問知識で行けちゃう問題が多い。
今年の問題は行政法でとらせてもらえるパターンなんだ、と思った。・・・けれど、何か不気味でもあった。
そして、国家賠償・地方自治法に入ってから、雲行きが怪しくなった。
来た・・・。見たことのない判例や見たことのない細かい論点の問題が連続攻撃してくる。
妙に長い問題文を読みながら、一瞬、・・・心が折れた。
行政法後半の6問中4問は正解がわからなかった。結局、適当にマークした。
しかもじっくり時間をかけて検討した結果だ。。。またやってしまった。
なぜ深追いせず、華麗にスルーできなかったのか。激しく後悔&自己嫌悪だ。
試験時間はすでに2時間が経とうとしていた。残り1時間で民法・商法・会社法・多肢選択そして記述式だ。
いい歳こいたオジサンが心の中で泣きそうだった。
どこで間違えた?解く順番か?難問への諦めの悪さか?いや、そもそもこの3年間の勉強の仕方そのものか?
試験に関係のない雑念が湧いてきてしまった。こりゃヤバい・・・。
0.9ミリのマークシート用のシャーペンを一度机に置いた。
目を閉じると、どこかの予備校の講師が動画で叱咤激励していた言葉が蘇ってきた。
『どんなに苦しくても諦めたヤツはそこで負けだ!何度心が折れても最後の1秒まで喰らい付いて粘り倒せ!死ぬ気でそこを乗り越えた者にしか合格は与えられない!』
ずいぶん大袈裟だなぁ、、、と冷やかに動画を見ていたはずの自分が、今、その言葉に突き動かされている。
残り1時間弱あるじゃないか。死ぬ気でやれば何とかなるはずだ!
不思議と弱気は影を潜め、50歳を過ぎた頃から忘れかけていた戦闘モードのスイッチが入った。やってやる。
民法に取り掛かった。
民法は、簡単ではないが、わりと典型的な問題が出ている気がする。2問は自信がないが、7問は取れた気がした。
商法は比較的簡単だったが、会社法は私には難しかった。それなりに過去問はやってきていたつもりだったが、確実な知識にするまでにはできていなかったのだ。
多肢選択に入ると始めの問41でまた「これはヤバい。。」となった。4つある空欄の内、1つしか自信がない。この調子では基礎法学・憲法・地方自治法のマイナス分をカバーできない。
しかし今は戦闘モードで前のめりの状態だった。もう心は折れなかった。なんとか問42、43を埋めた。
そしていよいよ最後に残したメインイベントの記述式がやってきた。
問44。オーっ、これは差し止め訴訟の提起と仮の差し止めの申立て、だ。こんなに事前の予想通りの問題が出るものなのか。これまでの2回と比べても初めての経験だった。なので、問44は確実に取れたと思った。
問45は物上代位だったようだが、私の知識には「物上代位」の文字はなかった。しばらく考えて自分の中にある近そうな概念として債権者代位権と書いてしまった。物上代位は、私にとっては完全に落ちていた知識だったのだ。
問46は、3つの権利はわかって書いたのだが、「履行の追完として・・・」と書いてはいけない文言を書いてしまったので、点はもらえないかもしれない。わかっていた内容だっただけに余計なことを書いてしまったことを本当に後悔した。
とはいえ、なんとか時間内に最後まで書き終えた。時計の針は15時55分を指していた。もう少し時間を残すことができていれば、記述式の文言を精査して、マイナスの可能性のある要素を削除することはできたかもしれない。本当に悔やまれる。
この時、試験終了まで残りあと5分。わずかな時間だが、せめてマークミスのないよう全体の見直しをして終えよう。
と頭に戻ってから、冷や汗が出た、、、。
「アッ、行政法と会社法でわからない問題を4問くらい飛ばしたんだった、、、ヤバっ。。。」
必死で解こうと思ったが、もともと難しくて飛ばした問題の4問だ。
5分で全て解けるわけもなく、1問だけある程度検討して解いてあとの3問は全部4の選択肢としてとにかくマーキングだけしてタイムオーバーとなった。
「試験終了です。筆記用具を置いてください。」
ギリギリだった。とにかく埋めた。試験中、一度は本当に心が折れそうになったが、なんとか最後の1秒まで粘った。もうこれ以上できない、というところまでやり切った。
毎晩、会社から帰って22時〜1時までの3時間の勉強を3年間続けた。その結果だ。これでダメならこの試験から、撤退する。
帰りは夕方から立ち飲み屋に入った。一人で3年間ご苦労様の会だ。ホッピーが喉を通り抜けたとき、充実感というかホッとした感というか一抹の寂しさというか、なんとも言えない感情が湧き起こった。放心状態に近い感覚だった。仕事しながらの3年間は本当に大変だったんだと、終わって初めて実感した。これ以上できない、と。
その後、スタバに寄って回答速報を見た。
記述抜きでは、これまでの最高得点(172点か176点)を取れていそうだった。なんと全く自信がなかった一般知識が14問中13問できていた。これが法律科目の難問で落とした分をカバーしていた。時間がなく、一度も見直せなかったので、マークミスさえなければ、ということだが。(後日談・・・結局1問マークミスがあった。見直しは大切である。。。)
組織の理不尽に悩まされながらも何とか30年以上にも及ぶサラリーマン生活を乗り切ってこられたのは、子どもが巣立つまでは何としてもがんばろうという一心だった。その子どもも今度の春で大学を卒業して社会人になる。ひとつの大きな責任を果たし、肩の荷が下りた。
だから、もし今回受かったら、人生後半のセカンドキャリアはサラリーマンとして雇われの身で生きる人生ではなく、いばらの道であっても自分の人生を自分の心の羅針盤に従って一歩前へ進めるために、早期退職をして独立するつもりだ。
1月末の発表を待たなければ、本当の結果はわからないが、『最後の1秒まで絶対に諦めずに戦い抜け』と叱咤激励してくれた動画上の塾講師には心から感謝している。
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あれから時が流れた。
あの日の3時間が、今の自分につながっている。